暗越奈良街道

このページは、中本地区の歴史や文化に関する内容を紹介しています。

中本地区の風景

二軒茶屋・石橋(黒門橋)

この付近は、旧奈良街への大阪側からの入り口で、街道の南北両側には、旅行者めあての目当ての茶店があり、 俗に、「二軒茶屋」と呼ばれて繁盛した。
石橋は、この付近を流れていた猫間川にかけられていたもので、正しくは黒門橋という。慶安三年(1650)幕命により、 当時では珍しい石造りの橋として架けられたと伝える。
と説明に書かれています。
二軒茶屋・石橋については中本よもやま話をご覧ください。

玉津橋 たまつばし

暗越奈良街道の途中にあります。玉津橋は、高欄部に江戸時代に描かれた古地図を銅板に焼き付けたものがあり、橋が古くから存続してきたことを顕彰している。橋の歩道は石畳風の敷石が並べられ、街道の雰囲気を伝えている。

暗越奈良街道碑くらがりごえならかいどう

暗越奈良街道

暗越奈良街道は、高麗橋(江戸時代は玉造)を起点に奈良への最短コースを取る街道で、生駒山脈の横断は、暗峠をこえるのでこの名がある。古代に開かれた平城京への道は、一部この街道と重なるといわれている。
近世になって、豊臣秀吉の天下統一と、弟、秀長の郡山城での大和支配など奈良との関係で重視された。江戸時代、元禄7年(1694)俳聖芭蕉は、この道をとおり来阪した。これが芭蕉最後の旅となった。また、ほぼ60年周期で爆発的に流行した伊勢参宮「お蔭参り」のときは、1日7、8万人の旅人で賑わった。
平成4年 大阪市
と説明に書かれています。

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